ジェフリー・ディーヴァーの立ち読み


リンカーン・ライム シリーズ

魔術師 イリュージョニスト The Vanished Man /池田真紀子=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行

こんにちわ、我が敬愛なる紳士淑女の皆さま。ようこそ。
ようこそ、私どものショーへ。
これからの二日間、お腹がいっぱいになるまでさまざまなスリルを味わっていただこうと存じます。大勢のイリュージョニスト、マジシャン、手品師たちが入れ替わり立ち替わり舞台に登場しては皆さまに魔法をかけ、皆さまの心を奪うことでありましょう。
最初にご覧に入れますのは、どなたさまもきっと名前は耳にされたことがあるはずのマジシャン一一かのハリー・フーディニーが得意とした演目でございます。フーディニーは諸国の王族やアメリカ合衆国の大統領の前でマジックを披露した、ひょっとしたら世界一の、少なくともアメリカ一の脱出王でありました。フーディニーの脱出マジックは非常に難度の高いものばかり、彼の突然の死から長い年月が経過した現在に至るまで、ただ一人のマジシャンも挑戦したことのない演し物がいくつもあるほどでございます。
さてさて、本日これからお目にかけますのは、そのフーディニーが窒息の危険を冒して演じましたマジック、その名も“手持ち無沙汰の絞首刑執行人”でございます。

修理に出せば〈カマロ〉のボディーの四分の一は新品と交換になるだろうし、どのみち再塗装が必要だ。この際、別の色に塗り直そう。とっさに、燃えるような赤にしようと決めた。その色には二重の意味がこめられていた一一高馬力車は赤であるべきだというのが父の口癖だっただけでなく、ライムのスポーティーな愛車〈ストーム・アロー〉の車椅子ともおそろいの色になる。犯罪学者はそんな女心をまるで解さないふりをするだろうが、内心では小躍りして喜ぶに違いない。
そうだ、それがいい。赤にしよう。
この足で工場に預けに行こうという気になりかけたが、思い直し、先に延ばすことにした。あと数日、このひしゃげた車を乗り回すのも悪くない。十代のころは、そんなことはしょっちゅうだった。いまはただ家に帰りたかった。リンカーン・ライムのもとに帰りたかった。彼女のバッジを銀から金へと変えた錬金術師のニュースを彼と分かち合うために一一そして二人を待つ困難な謎を解き明かすために。殺された二人の外交官、よその土地から持ち込まれた植物、ぬかるんだ地面に遺された奇妙きわまりない跡、そして持ち去られた靴二つ。
そのどちらも右足のものだった。

石の猿 The Stone Monkey /池田真紀子=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
彼らはすでに世に亡き者たち、不運に見舞われた者たちだった。
欠陥製品を満載したパレットを運ぶように彼らを世界各国に配って回る密入国斡旋業者一一蛇頭一一にとっては小猪(シャオチュー)、子豚の群れだった。
彼らを乗せた船を拿捕し、彼らを拘束して強制送還する移民帰化局捜査官にとっては、密入国者だった。
彼らは期待に胸をふくらませていた。成功を約束されたわけではなく、しかも辛苦の労働の日々が待っていることを承知の上でなお、住み慣れた家や家族、そして一千年の間守り通してきた家名を捨てることを選びとった者たちだった。
自由と富と充実感が陽の光や雨粒のごとく当たり前に存在すると伝えられる新天地で、一家の繁栄がしっかりと根を下ろすわずかな希望にすべてを賭けたのだ。
そして彼らは、取り扱いに注意を要するの貨物だった。
サックスは碁盤をながめた。「さてと、何を賭けて対戦する?」
ライムは謎めいた笑みを浮かべた。「何か考えよう」それから、ゲームのルールを説明した。サックスは身を乗り出し、一心に聴き入った。やがて彼は言った。「とまあそういうゲームだ……さて、きみは初めてなわけだから、私にハンディキャップをつけよう。きみが先手でいいぞ」
「だめ」サックスは言った。「ハンディキャップはいらない。コインを投げて専攻後攻を決めましょう」
「慣例なんだよ」ライムはサックスを安心させるように言った。
「ハンディキャップはいらないわ」サックスは繰り返した。そしてポケットから二十五セント玉を取り出した。
「さぁ、表裏、どっち?」
そう言って、サックスはコインを宙に放り上げた。

エンプティ・ーチェア /池田真紀子=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
ここを訪れたのは、少年が命を落とし、若い娘が連れ去られた場所に花を供えるためだった。
太めで、にきびの痕があって、友だちが少ないから、来ないわけにはいかなかったから。
来たいと思ったから。
二十六歳のリディア・ジョハンソンは、一一二号線の砂利の浮いた路肩にホンダ・アコードを停めた。額に汗が吹き出す。ぽぼつかない足取りで土手を伝い下り、ブラックウォーター運河と淀んだ水の流れるバケノーク皮が交わるぬかるんだ川岸に立つ。
ここを訪れたのは、そうするのが正しいと思ったからだった。
怖い気持ちもあるにはあったが。
日の出からさほど時間はたっていない。しかし、ノースカロライナの今年の夏は数年ぶりの猛暑で、川辺の空き地に向かって歩き出した時には、看護婦の白い制服にすでに汗の染みが広がり始めていた。
・・・ラストは読んでのお楽しみ・・・

コフィン・ダンサー /池田真紀子=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
妻のパーシーに行ってくるよと声をかけて家を出たとき、エドワード・カーニーは、それが妻の顔を見る最後になるとは夢にも思っていなかった。
マンハッタンの東八十一丁目の路上に貴重なスペースを見つけて停めておいた愛車に乗り込み、通りを走り出す。鋭い観察眼に恵まれたカーニーは、自宅のそばに黒いバンが停まっていることに気づいた。ボディに盛大に泥が跳ね、ウィンドウガラスには目隠しフィルムが貼られている。
・・・ラストは読んでのお楽しみ・・・

ボーン・コレクター/池田真紀子=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
とにかく眠りたかった。
飛行機の到着が二時間遅れ、手荷物受け取りは持久戦の様相を呈した。ようやく、荷物が出てきたかと思えば、今度は交通機関が大混乱に陥っている。空港リムジンは一時間前に出発していた。そこでしかたなかうタクシーの順番を待っている。
タクシーの待ち列で、彼女の華奢な体がラップトップコンピューターの重量に傾ぐ。ジョンは利率や為替取り引きの……
サックスは束の間ためらったが、やがて晴れやかに微笑んで立ち上がると、睡眠薬入りの酒のタンブラーからストローを抜き取った。熱気がじっとりとのしかかるタウンハウスの路地に、琥珀色の液体をぱっと撒き散らす。ほんの数フィート先では、ハヤブサがつと顔を上げ、灰色の首を傾げてサックスの腕の動きを怒ったように目で追ったが、すぐにまた背を向けると、腹を空かせたひな鳥たちに食事を与え始めた。


その他の著作

獣たちの庭園 GARDEN OF BEASTS /土屋晃=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行

仄暗いアパートメントに足を踏み入れたとたん、彼は死を覚悟した。
手のひらの汗を拭いながら目をやったその場所は、死体安置所のような静けさで、聞こえるのは遠く深夜のヘルズ・キッチンを通行する車の音と、モンキー・ワード製の扇風機が窓のほうにあおった熱風に、油じみた日除けが小刻みに揺れる音だけだった。
その場全体がおかしかった。
“尋常じゃない……”
そこには酒を喰らったあげく、眠りこんでいるはずのマローンの姿はなかった。コーンウィスキーの空き壜はころがっていなかったし、あのチンピラが一本槍で飲むバーボンの匂いさえしなかった。しかも、しばらくはここに近寄っていないという風情なのである。テーブルの上の〈ニューヨーク・サン〉は二日まえの日付だった。その隣に冷たい灰皿、乾いた牛乳がなかほどに青く輪をを作るグラスが置いてあった。
彼は明かりをつけた。

・・・ラストは読んでのお楽しみ・・・
青い虚空 THE BLUE NOWHERE /土屋晃=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
くたびれた白いヴァンが彼女の不安を掻きたてている。
カリフォルニア州クパティーノのデ・アンザ沿いにある〈ヴェスタズ・グリル〉のバーで、ララ・ギブソンはマティーニ・グラスの冷たいステムをつまみ、若いチップージョックふたりが投げてくる浮ついた視線を無視していた。
あらためて霧雨の中に目をやると、数マイル離れた家からこのレストランまで、ずっと尾行してきたような気がする窓のないエコノラインは見当たらなかった。ララはバー・スツールから降りて窓辺に行き、外を見渡した。レストランの駐車場にヴァンはいない。通りをへだてたアップル・コンピュータの駐車場にも、その隣のサン・マイクロシステムズの敷地にも車はなかった。彼女を見張るつもりなら、しそのいずれかに車を駐めるのが理にかなった行動だった一一運転する人間が本当にストーキングをしているのなら。
・・・ラストは読んでのお楽しみ・・・

悪魔の涙 THE DEVIL'S TEARDROP /土屋 晃=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
〈ディガー〉は街にいる。
どこといって特徴のない男、誰もがやるように十二月の湿った風に肩をすぼめ、冬枯れの街路を歩いていく。
高からず低からず、太からず細からずの体躯。暗色の手袋をはめた指はずんぐりしているかもしれないし、ちがうかもしれない。足は大きそうだが、靴のサイズはぴったりのようだ。
その目は一瞥しただけでは形も色も判別しにくいが、人間離れした印象があることだけはわかるし、もしも〈ディガー〉と目が合ったら、見てはならないものを見たという気分になるかもしれない。
「いや、間違いだ」パーカーは笑った。
「でも、部分的には合ってるんじゃない?」
「パズルには部分的に合ってるなんてことはありえない。答えを知りたいかい?」
やや間があいてから「いいえ。ずるをしたことになるからいい。自分で考えるわ」
キスには悪くないタイミングだった。短い口づけのあと、コーヒーをいれるルーカスを残して、パーカーは居間に戻った。子供たちを抱きしめ、新年最初のおはようを言った。

監禁 Speaking in Tongues /大倉貴子=訳 本棚に戻る
最初の数行 最後の数行
真夜中の十二時を過ぎ、漆黒の雲は喪服を思わせたが、雨が降る気配はまだなかった。
四月にしてはまだやけに暖かいこの日、ひとりの男が薄緑色の菅とニンジンの葉の生い茂る草原を歩いていた。男が目指しているのは、小さな石造りの建物で、テーダ松とストローブ松の並ぶ小高い丘の上に建ち、風雨にさらされた花崗岩が肌に似たピンク色に変色していた。
男はいったん足を止め、石段を上がって金属のドアの前に立つと、小さな袋から金槌とのみを取り出し、後ろを向いて森に目を走らせた。
ふたりは逆方向へ歩く人たちも、驚くほどの暑さもものともせず、ひび割れたアスファルトの道を進んでいい香りのする密林に入り、まるで一分一秒が貴重で、今日はもう残り少ないのに、埋め合わせなければならない、失われた探検の時間が山ほどあるというように、ペダルの上に立ってこぎ、早さを競い合った。

静寂の叫び A Maiden's Grave /飛田野裕子=訳 本棚に戻る
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「闇のなか、八羽の灰色の鳥が羽を休めている。容赦なく吹き付けてくる冷たい風に身をさらして。」
黄色いちいさなスクールバスがハイウェイの急な坂道をのぼり切ると、灰色の空の下、地平線のかなたまで広がる広大な小麦畑が視界に入ってきた。微妙に色合いの異なる淡い色の小麦の穂が、風にあおられて波打っている。やがて、バスは坂を下りはじめ、天と地の境目は視界から消えていった。
・・・ラストは読んでのお楽しみ・・・

眠れぬイヴのために PRAYING FOR SLEEP /飛田野裕子=訳 本棚に戻る
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霊柩車は揺り籠のように優しく彼を揺すった。
その古ぼけた車は、亀裂が入ってあちこちで木の根が路面を突き上げている亀裂の入った田舎道を、タイヤを軋ませながら走っていた。走り出してかれこれ数時間といったところだろうが、数日、数週間経っていると言われても、男は別段驚きもしなかったろう。
・・・ラストは読んでのお楽しみ・・・