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我輩はグッチである


“撮っちゃいにゃ〜ん”

 

未亡人は太るもの・・・!?

グッチの独り言

二度めの引っ越しは車ですぐのところだった。三度めは電車に乗ったり、船に乗ったり・・・心細くて、狭いカゴも嫌でにゃーにゃー鳴いていたらRITZが膝に乗せてくれて、布もかぶせてくれたのでぐっすり眠った。最後の引っ越しの時も遠かったらしいけれど、車の中でず〜っとRITZの膝の上で寝ていた。らくちん。

新しい家を探検した後、RITZと家の前の大きな水たまりのところまでお散歩した。水たまりでは魚が飛び出したりしていた。それ以来、毎日水たまりへ散歩するのが楽しみになった。なんとかしてお魚が食べられないものか……。
引っ越ししてから小さな人間がまた一人増えた。RITZは「お義母さん」と呼んでいる。やさしくしてくれるけど、私が散歩しているとず〜っと付いてくる。私がトイレをしているとじ〜っと見る。嫌だよー!猫よりも好奇心が旺盛じゃないかと思うことがある。
ここにきてから、RITZは新しいトイレばかり作ってくれる。土がふかふかして気持ちが良くて、すぐに試すことにしている。でも叱られる。あんなにたくさんのトイレをどうするんだろうと思っていると、草がたくさん生えてきた。草にも美味しいのがあって、今は「レモングラス」ってのがお気に入り。

RITZの独り言

田舎暮らしを始めて、おっかなびっくりだったグッチもだんだん慣れてきて、だんだんテリトリーを広げながら、我が物顔で散歩するようになった。
ここへ来た頃は初めて見る海に思いっきり首を傾げていて大笑い。雨の日も外に出たくて、雨粒と雨粒の隙間を必死に探すような素振りや、強い風の中を匍匐前身で進んでいく姿には、根っからのマンション猫に育っていたのだなぁと、可笑しさと哀しさを同時に感じた。
縁あって私のところへ来たのだろうが、それがグッチやゴエモンにとって幸せだったのかどうか……答えのなさそうな思いに時々囚われる。ずっと自由に生きさせてやりたかった。せめて、これからはゴエモンの分まで伸び伸びと自由に生きていって欲しいと思う。

考えてみると、これまでに四度引っ越しをしたが、臆病な割にグッチはいつも動じなかった。すぐに環境に順応し、受け入れた。「猫は家に付く、犬は人に付く」などと言う人もいるが、あれは違うと私は思う。猫は自分に忠実なだけなのだ。気に入ればそれで良いのだ。
そして、長い歳月を私や家族と暮らしたグッチは、年老いた今、思いっきりわがままにすべてを私たちに投げ出している。


“端午の節供に、遊ばれるグッチ”


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