老女の名前は、ヘインズ夫人といった。メアリー・ヘインズ。だが、彼女のことをメアリーと呼ぶ人は、今ではもうひとりもいなかった。何年もまえに、夫に先立てれてしまってからは。七十八歳の彼女は、自宅の玄関先に立ったまま、恐ろしさに震えていた。
ちょうど教会の墓地から、戻ってきたところだった。墓地には、天候が許す限り、日曜日ごとに通っていた。夫の墓を掃除し、カットグラスの花瓶に新しい花を活けなおすために。その花瓶は、以前は自宅のサイドボードに飾っていたものだった。黒っぽい色をしたオークのサイドボード。ふたりが結婚した年に買ったその家具も、今では裏の使われていない部屋に押し込まれている。今日、墓に出向いてみると、牧師が険しい顔で待ち受けていた。「とんでもないことになりました、ヘインズ夫人。どうか、お気を確かに」
夫のはかの荒らされようを目の当たりにした瞬間、彼女はその場で気を失いそうになった。 |
フロストは煙草のパックを取り出し、ジーン・ナイトの唇に一本挟んでやった。「まだだいぶかかるんだろう?」
ジーン・ナイトは首を伸ばして、 フロストの差し出した火を借りた。「もうできあがってます」彼女はプリンターから吐き出された用紙を剥ぎ取り、調査報告書の書式に重ねてクリップで留め、フロストに差し出した。
フロストは、マフラーをもう一度しっかりと巻きなおしてレインコートのボタンをかけた。「きみにキスすべきなのか、はたまた、そのくそコンピュータにキスするべきなのか、おれとしては判断に迷っちまうよ」
煙草をくわえ、いとも幸せそうに調子はずれの口笛を吹きながら、ジャック・フロスト警部は意気揚々と廊下を歩き出した。ギルモアは、うっすらと軽蔑の色が混じった表情を浮かべて、その後ろ姿を見送った。ありがたいことに、月曜日にはアレン警部が職場に復帰することになっている。これでようやく、本物の警察官のもとで任務に就くことになりそうだった。 |