鳩笛草
最初の数行 |
最後の数行 |
朽ちてゆくまで |
新開橋へ続く通称「都電通り」と永代通りの交差点で、生涯で四度めの、そして致命的となった心臓発作に襲われた時、麻生さだ子は、帰り道に商店街の八百屋でミカンを買うことを考えていた。たったひとり残された孫の智子がそれを知ることができたのは、さだ子の手の中に握り締められていたメモに、さだこの筆跡でそう書かれていたからだった。ひらがなで「みかん」と。 |
……智子は目を閉じた。
逸子と叔母の明るい声が、小鳥のさえずりのように、耳に心地よい。
もしも逸子に、あなたは将来、「マコちゃん」という女の子のおばあちゃんになるんですよと話したら、彼女はどんな顔をするだろうか。それを思うと、智子のくちびるに、微笑が浮かんだ。
そう、誰も気づかなかったけれど、智子はたしかに、ほほえんだのだった。 |
燔祭 |
夕刊を開くと、その見出しが目に飛びこんできた。
事件自体がセンセーショナルだから、見出しの文字も大きく太い。だが、その日は、ある大規模な汚職事件に関わった政治家の初公判が開かれた日だったから、社会面の中央部分は、そちらの記事に占められていた。問題の記事は、メインディッシュの付け合わせのような形に…… |
「パラレル」へ行ってみたんだよ。君が来るかと思って。待っていたんだ一一
佇んでいるうちに、靄もどんどん薄れてきた。その最後のひとひらが雨に飲み込まれてかき消されてしまうまで、一樹はそこを動かなかった。
目をあげると、自分の部屋の明かりが見えた。窓際でまたたきながら燃えている、雪江のキャンドルの光だった。 |
鳩笛草 |
バスを降りようとしたとき、ステップのところで、すぐ近くにいた男性客の背中に手を触れてしまった。その男性客は女のことを考えていた。目のパッチリとした可愛らしい顔だちの若い女性で、ころころと笑い転げている。
停留所に降りたところで、貴子は… |
そんな思いが、初めて形を持った。まだまだ小さく、弱い苗だけれど。
「着いたら、なんて挨拶するかな」と、大木が言った。貴子は吹き出した。また少し、辛いめまいが襲ってきたけれど、笑っているうちに、その波は過ぎ去っていった。 |