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ちょんの字が行く
エピソード3

ちょんの字と過ごした40日、
家事は抜けるだけ手を抜き、仕事も庭仕事もそっちのけの40日、
長かったような、あっという間のような40日、
驚いたり心配したり、でも笑ってばかりだった40日。

ちょんの字が旅立って、残ったものは毎日突つかれたホクロの痛み、
食べ残していった餌の山、ちょんの字のスプーンになった耳かき、
まだ餌の入った小さな食器と、どうしても拭き取れないちっちゃな糞、
家の中はやたら静かで、雑巾や箒を持って走り回ることもない。

「あとは元の生活に戻るだけだね」と言い合いながら、
元の生活が思い出せないでいる私たち夫婦。
ちいさな躰の中の野生に驚嘆し、無事に育てられたことを誇りながら、
しばらくは夜毎に涙まじりの乾杯が続くだろう。
「頑張れ!ちょんの字」と……。
 

●8月1日(日) 晴れ(40日め)
ちょんの字の勇敢な旅立ち

ちょんの字は今日見事に旅立っていった。
お前、そんなに飛べたのか〜!と感動するほどの素晴らしい飛びっぷりだった。小さな身体全体に思いも付かないようなエネルギーを漲らせ、恐れることもなく勇敢に飛び立っていった。

二、三羽のすずめが網戸のところへ来るようになってからというもの、ちょんの字の鳴き方も変わってきて、まるで一人でぺちゃくちゃとお喋りをしてるような様子だった。そして、今日は朝からずっと網戸にとまって、餌も食べない状態。で、主人と相談して、勇気を出して外へ出してみることにした。
始めのうちはなかなか出ようとせず、連れ出してからも主人と私の頭や肩を行ったり来たりするばかり。内心ホッとして部屋に戻ろうかという時、いつも網戸越しに来るすずめたちか……、突然二羽のすずめが屋根から舞い降りてきて、なんと私の顔のすぐ近くまで来てホバリング。そして、ちょんの字は彼等と一緒に大空の驚くほどの高みまで飛んでいき、力強く空を何度か旋回した後、すずめたちと一緒に竹林の方へ消えていった。

あっという間の出来事。覚悟はしていたつもりだったのに、まるで心の準備ができてなかったと気付いた時には後の祭り。心のどこかにまだ飛んでは行かないという思いがあったのだろう。
1週間か10日程、早くなっただけのことだ。立派な巣立ちを喜んであげよう、躊躇うこともしなかったちょんの字の勇気を誉めてあげようと思いながらも、家中のそこかしこ、ありとあらゆる場所にちょんの字の無邪気な姿をい思い出し、家にいるのも耐えられない。でも、心のどこかではまた戻ってくるのでは・・・との期待も捨てきれないでいる。

頑張り屋さんのちょんの字の事、帰ってくることはないだろう。だけど、もし戻ってきてくれたとしたら、今度はちゃんとお別れを言って、またちょんの字の世界へ帰してあげよう。思い出もたくさん残してくれたし、あとは私がちょんの字離れをするだけのことだ。


●8月2日(月)曇りときどき雨、強風
さよなら、ちょんの字

ちょんの字は、一階の中央にある事務所はグッチ婆さんの住処なので近寄らず、その両側のリビングと寝室をテリトリーとしていたので、始めのうちは事務所の廊下を通る時だけは私の肩や掌の中でだんまりを決め込んでいた(賢い!)。やがて慣れてからは自分で廊下を行き来するようになったが、なかなか慎重(?)で、グッチ婆さんの様子を見ながらちょこちょこ歩いていき、危険箇所を無事通過してから飛んでいた(かえって危険なような気もしたが……)。二階へも進出を始めていた。いつもどこにいるか分らず、呼べばどこからか鳴きながら飛んできて、私の肩や頭、時には鼻にとまったり、足元に居たりといつも驚かされた。
ちょんの字の旅立ちの後、いつもの癖でついキョロキョロと探してしまう。寝る時以外放し飼いだったから、どこを見ても何を見てもそこで遊んいるちょんの字を思い浮かべてしまう。グッチ婆さんも何か感じたらしく、鳥カゴの傍を離れない。いたたまれなくて外に出た。雨なので庭仕事もできず、先日剪定で落とした柳の枝でカゴを編んだ。ちょんの字のお腹のようにまぁるいカゴができた。

雨が上がった夕方、聞き慣れた鳴き声。顔を上げると裏手の家の屋根にすずめが三羽。思わずいつものように呼んでみた。返事があった。繰り返し呼んでみた。ちょんの字と同じ声で必ず返事が返ってきた。部屋の中にいる時もテラスのすずめの声と間違えたことはない。やがて二羽が飛び去ったが、一羽は残ったまま呼び掛けに応えてくれる。ずっと呼んでいると少しづつ近寄ってきたが、すぐに飛び去った二羽が戻ってきて、ちょんの字を巻き込むように連れ去ってしまった。。
でも・・・リリースした翌日にちょんの字を見つけるなんて偶然があるだろうか?いや、すずめがタイミング良く私の呼び掛けに応え、身体をふくらませながら寄ってくるという偶然の方がきっと珍しい。まぁ、いいや。そんなことはどうでも良い。嬉しい勘違いであろうがなかろうが、私は信じることにしよう。あれだけ悲しかった心が、こんなにも晴れ晴れとしているのだから。
それに、ちょんの字だとすれば、すぐに私に飛びついてこなかったのは大きな安心だ。二羽のすずめもちゃんとサポートしてくれてる様子。もぅ安心、そう信じよう。野生の力は私が想像するよりもずっと力強いのだ。他の二羽に負けないように高く早く飛んでいた。今日も見分けがつかないほどだった。あの息も絶え絶えだった豆粒のようなチビスケが、よくもここまで育ったものだ。そう考えながら、ちょんの字に初めてさよならが言えた。これからも何度か会えることもあるかもしれないけど、人間の世界とはさよならだね、ちょんの字。頑張るんだよ。


●8月3日(火)暴風豪雨
頑張れ、ちょんの字

台風7号の影響で朝から凄い雨と風。窓にはバケツでかけるように雨が叩き付けていた。
強い風の日にはいつも怯えて興奮気味だったちょんの字、雨に当ったこともないのに大丈夫なんだろうか。天気のことも調べずに放してしまったのは失敗だったと後悔している。外の荒れ模様を見ていると、ちょんの字が巣から落ちたのもちょうど今日のような天気だったことを思い出す。初めて掌に乗せたちょんの字はちっちゃくて、冷たくて……。
テラスのすずめの団地もほとんどのヒナが巣立ってしまい、めっきりすずめの数も減った。最後のヒナが一羽残っているようで、親鳥は激しい雨の中でも時々餌を捕りに行く。野生の生き物たちは強いのだと感心しながら、少し安心もした。好奇心の旺盛だったちょんの字のこと、仲間に守られながら、この嵐さえ驚嘆の思いで感じ取ったかもしれない。今年もたくさんのヒナが落ちて死んでいた。可哀想なヒナたちの分まで、ちょんの字が逞しく、自由に生きていけることを願おう。頑張れ!ちょんの字。
さて、今日はちょんの字を思い出すものを全部片付けてしまおう。ベッドやカウチ、座布団カバーも違うものに取り替えて、私も私の生活に戻らなければ。


●8月5日(木)晴れのち雨
大いなる自然の力に感謝!

昨日は玄関近くの電信柱のてっぺんに、今日は庭の山ボウシの枝にちょんの字がいた。いつも三羽一緒で、二羽は私が動くとすぐに逃げるが、ちょんの字は小首を傾げながら近寄ってくる。もう一度だけでいいから、私に触れてお別れをさせて・・・日頃の口先とは裏腹な思いがこみ上げる。心なしか、ちょんの字も迷っているように見える。
ちょんの字は自由で大きな世界に夢中で、私の事はもう忘れはじめているのかもしれない。でも、それで良い。初めて触れた自然は、それほどに魅力的だろう。ちっぽけな数人の人間の中で愛されて暮らすより、鳥として自然の一部として、おおらかに生きていく方が幸せだろう。時々元気な姿を見せてくれるだけで良い。思えば私は幸せな方だろう。リリースしても、すぐ近くに居てくれるのだから。庭で過ごす楽しみが、さらに膨らんだのだから。自然の一部と、こうして直に触れあうことができたのだから。。。
これからもすずめだけでなくいろんな生き物たちを保護することになるかもしれない。放っておけるものはできるだけ放っておき、どうしても保護を必要とするものは大事に育てよう。そして、辛くても淋しくても、リリースできるものは必ずリリースしよう。そこには身勝手な自己満足ではなく、大きな感動と満足感がある。
自然は素晴らしい。ちょんの字やたくさんの生き物を育んでくれる自然、私達をも活かしてくれる大きな自然。時には厳しく残酷だけれど、その中を生き抜いていくことこそが「生きていく」歓びなのかもしれない。大いなる自然の力に感謝!こんな気持ちを教えてくれたちょんの字に感謝!


●8月6日(金)雨のち晴れのち曇りのち雨
闘うRITZ、復活!

この頃は晴れ間が懐かしい。晴れ間が貴重だと思えるほど、雨ばかり続いている。今日は雨の合間にサァーっと晴れ渡って、その時の空や海の美しかったこと!蒼・・・濁りも陰りもない透き通った蒼一色!
 早速庭へ飛び出すと、鳥たちも雨上がりの空を謳歌していた。トンビ、カラス、サギの仲間、そしてすずめたち。この空を飛べたらどれほど気持ち良いことだろうか……。ちょんの字もこの晴れ間の中を無邪気に飛び回っているのだろう・・・つくづく放して良かったと思う。
今日は雨の合間に“闘うRITZ”久々の登場だ。ハーブ並木はヨモギや雑草に凌駕されていた。ガマズミやマートル(銀梅花)、リンデン(菩提樹)の幼木は竹林の方から攻めてきた葛に締め上げられていた。小さなマグノリアはぐるぐる巻きにされて細くなって万歳していた。巻き付いた葛や山芋や野生の朝顔や豆類のツルを少しづつほぐし、葛類を引き抜いていく。花壇の雑草を抜き、仕上げに草を刈る。再び雨が降り出す前にほぼ終了。久しぶりの作業に腰がギシギシと痛み、腕が痛い。でも、それさえも快い。なにもかも忘れて没頭できるひと時。だが、近くをすずめが飛ぶ度に、いつもの呼び掛けを忘れない私ではあった。


●8月7日(土)雨のち晴れのち雷雨(洪水警報)のち曇り
思わぬ自然破壊

じつは我が家からの視界25%ほどを遮る場所に続々と家が建った。ちょうど夕日が一番美しい辺り、夜には月がもっとも海に近付いて、水面で月光の燐粉がキラキラと跳び弾けるあたり。悲しい……。
思わせぶりに一番遠い家から建ち始めて、三軒がすでに完成。今は一番目障りなはずの最後の一軒が建築中だが、断固阻止しようなどと言っていた割にはすっかりお友達になってしまった。土地を買ってから毎晩毎晩、殆ど欠かさずやってくる新しい隣人は「この土地に恋をしてしまったんです」とのたまう。気持ちがわかるばかりについ微笑みを交わすうち、月夜にはそのお隣さんの庭で酒でも酌み交わそうという話になった。その代わり、余った苗は何でもくださいと……。うむ、助かる。思わず「乗った!」と言ってしまった。
この土地へ来てから間もなく四年になる。当初は海沿いの野原の一軒家だったのだが、あっという間に十軒になってしまった。これ以上景観を削がれることは無さそうだが、開発区域は更に広がっている。引っ越してきた頃によく見かけていたキジの夫婦や野ウサギを見かけなくなった。近くの孔雀園の放し飼い孔雀たちもよく遊びに来ていたものだが、この頃は来なくなった。最初の一歩を踏み込んだのが他でもない自分なのだと思うと、知らず知らずのうちに環境を破壊してしまったのだと悲しくなる。私たちはただ、自然の中に住みたかっただけなのだけど……。
そういう訳で今日も早朝から工事の音がトントンカンカン、ダダダダ、キュイーン。休みの日には煩くて耐えきれず、久々に映画でも観ようかとスター・ウォーズを観に行った。あまりに面白くて、しばし憂いを忘れた。


●8月8日(日)雨のち晴れのち雨
ちょんの字と接近遭遇!

テラスのすずめの団地もほとんどが巣立ってしまい、あとは最後の一羽の巣立ちを待つばかり。このところ静かになって少し淋しいテラスだが、今朝は何故かすずめたちでいっぱい。もしや……と思い、いつものようにちょんの字を呼んでみると、すぐに元気な鳴き声でどこからか返事があり、しばらく呼び続けていると突然、私の頭上1m近くまで来てホバリング!一瞬、「違う、こんなに大きくなかった!」と思ったが、すぐに、以前にも増して翼を膨らませ、プルプルさせているのだとわかった。間違いなくちょんの字。少し大きくなって、思いっきり元気そうで、私のこともまだ少しは記憶に残っているのだ。私も思いっきり嬉しくて膨れ上がりたい気分。
久々の体面には他の仲間たちが危険を感じたようで、まさに連れ去ったという状況であっという間に終わった再会だったが、充分に幸せな朝だった。すずめたちはちゃんといろんな事を教えてくれているようだ。ちょんの字は仲間と一緒に、元気一杯飛び回っていた。今もテラスはすずめたちの声で賑やか。ちょんの字もまた戻ってきてるようで、ちょっとかん高い鳴き声が聞こえている。

昼から夕方にかけて久しぶりの夏、暑さや汗が嬉しく、ハーブの並木、野菜畑、小鳥たちの庭で草むしりや倒れた苗を起こしたりして過ごす。雨が続いたのでいろんなものが発芽していた。ぜ〜んぶまとめて荒れ地に植え替えた。すずめたちの声に囲まれて、時折空を見上げながらの庭仕事は楽しく、そろそろ私もちょんの字離れができたのだろうと思った。


●8月9日(月)快晴のち初めての入道雲
素敵なプレゼント

昨日、小鳥たちの庭で見つけた“えごの木”の赤ちゃんをポットに移植。8本もあった。小鳥たちの庭で紹介している第一号は横にずんぐりと大きくなってきたが、今回のは他の草に紛れて背ばかり高い。里子に出した残りは荒れ地に植えようと思う。元気に育て!
 玄関横の作業場で植え替えをしていると、いろんな鳥の声が耳に届く。以前はあまり気付かなかったことだ。心と耳がちょんの字に向いているので、他の鳥たちの声も耳に入るようになったのだろう。ちょんの字は素敵なプレゼントを残してくれたわけだ。ちょんに向かって呼び掛けると、別の鳥が返事をするようにもなった。テラスで巣立ちを待つすずめのヒナと、もう一鳥は姿を見せずに声を返すだけ。あれはなんという鳥なのだろう。


●8月10日(火)快晴
芝生は草むら状態

 降り続いた雨のお陰で芝生が乾くことがなく、二ヶ月以上も芝刈りをしていない。ちょんの字騒動で肥料もやってない。芝生は緑々と繁って、「こんなにまで伸びるのか……」というひどい有り様。見かけが悪くなるのは覚悟の上で、ついに今日、芝刈りに取りかかった。
伸び過ぎて刈ると茶色いまだら模様になって汚くなってしまうけれど、このまま刈らないわけにもいかないし、少しでも早い方が良いと頑張った。思ったほどひどくはならなかったものの、やはり迷彩色風の悲しい仕上がり。でも、春先にしっかり手入れをしていたので、10日もすればなんとか元に戻るだろう。あまりにも伸び過ぎていて(最長20cm!)、今日のところは四角い庭を丸く刈ったような状態。仕上げは明日。曇ってくれれば一日で終わるかも。
芝刈りを終えてテラスでコーヒーを飲んでいると、すずめたちがたくさん芝生に降りてきた。芝刈りで驚いた虫たちがたくさん表面に出てきているのだろう。それにしても庭のすずめたち、こんなに近くまで来ていたっけ???


●8月11日(水)快晴
バリカンの快感!

日中はようやく真夏の陽射し。とても庭へは出られない。そうだそうだ、こうだったんだよ、夏は……などと思いつつ、することもなく埃だらけのピアノを弾いた。ただでさえいただけない腕前なのに、二年ぶりで指は「孫の手」状態。また一からやり直しだぁ〜などと嘆く。
気が付くと夕方。慌てて庭へ出て、伸び過ぎて芝刈り機では刈れなかった部分を芝生用バリカンで刈っていく。バリバリバリ・・・ロングヘアーを刈り上げていくような快感(未経験だけど)に、いつの間にか口元がニヤついていた。
ふっと、すずめたちがいないことに気付いた。私のピアノのせいか?それとも、最後のヒナが巣立ったのだろうか?この二、三日はやたらたくさんいたのに……。あれはヒナの巣立ちの応援部隊だったのかもしれない。


●8月12日(木)快晴、夜は曇り
LDK+G+B?の発想

家を作り始めてから出来上がるまで、眼は家の中にばかり注がれていた。内装、家具の配置、オブジェと。でも、いったん住み始めてみると、この家がいかに外に開かれているかということに気付いた。玄関先から軒下のちょっとした空間へ、板の間から縁側へ、窓からテラスへ、テラスから庭へ……屋内と屋外は明確に別れているのだけど、気分的には繋がっている。まるで海水浴場にある海の家のようだ。これは私の好みを理解してくれた設計士と海という大きな自然のお陰かもしれない。
ここで暮らし始めて三年と九ヶ月。今やテラスは我が家のもうひと部屋、庭は更なるひとつの部屋になっている。そして、見渡す景色、静かな海、見上げる空、満点の星空、どれもこれも私のものなのだ。というわけで、我が家の庭はどこまでも広く、屋根は天井知らず!!!そぅ、信じるだけでは税金もかからない。これが“LDK+Gの発想”。“G”はとりあえずガーデンのG。そして最近では“B”も加わった。言うまでもなくBIRDSの“B”。庭の鳥たちもわが家族。これはここに住み始めて考え付いたとても厚かましく、とても広大でコンビニエントな発想だ。
昼はもちろん、晴れた夜にはほとんど庭で過ごす。冬場は分厚い上着やたき火相手に、今の季節は蚊取りゼラニュームの小さな鉢が相棒。それぞれの足元に鉢を置いて、時々足でさやさやと揺する。蚊が多い日には蚊取りゼラニュームの茂みに手や足を突っ込み匂いを付けると、蚊は結構寄ってこない。蚊が多い日には蚊取り線香や虫除けスプレーを友とする。そうして脆弱な私はやっと自然の一部となれる。


●8月13日(金)快晴
ペルセウス流星群……?

 なんらかのアルコールを片手に……というのが我が家の流儀。今夜はバーボン片手に庭で過ごす。出かけていて水やりを怠ったが、芝生は水を撒いたように濡れている。ありがたや!夜露。
 今夜はやけに流れ星が多い。ふと、ネット仲間の掲示板でのコメントを思い出す。もしや、ペルセウス流星群……?いや、きっとそうだ!と、グッチ婆さんまで引っ張り出して流星見物。ちょんの字リリース以来うろうろして元気が無かったグッチ婆さん、久々の便通に食欲旺盛のグッチ婆さん、流星群にはあまり興味を示さなかった。


●8月14日(土)快晴、あっぱれ夏日和だが、風が涼しい
思わぬお返事♪

ようやく夏が来て、陽射しの強い昼間にはすずめたちも活発に動かなくなった。涼しくなると、あちらこちらからすずめの声。ここのところ庭に出る時間も少なくなって、いるのかいないのか、ちょんの字が近寄ってくることはなくなった。でも、作業をしながら諦めもせずちょんの字に呼びかける。というより、呼び掛けながら仕事をすることが日常になってしまったのだ。すずめたちが巣に戻る時間には、竹林に呼びかける。たまにきちんと返事をしてくれたような声が帰ってくると、元気なのだと笑みが浮かぶ。
こんなことをほぼ毎日続けているうちに、面白いことが起こった。まずはテラスにいる最後のヒナ、姿が見えない場所から呼びかけると、返事をする。ちょんの字がうちにいる頃から聞いているのだから、いつの間にか覚えたのかもしれない。
もう一羽はすずめではない。いつもみかん畑で鳴いている鳥。これが私に返事をしてくれるようになった。呼ぶと必ずさえずるから嬉しい。ちょんの字のおかげで、鳥たちに一歩近付けたように思える。


●8月25日(水)晴れのち曇り
すずめの恩返し……?

お盆休み、親戚の法事、ついそのままダラダラ過ごし、先週の金曜日から怒濤の来客に走り回っている。日替わりで連日の宿泊客、奴隷のように働かされている気がするが、夜の宴会はそれぞれに大いに楽しんだ。晴れた日が多くて流れ星もたくさん見えて、友人たちも親戚たちもとても喜んでくれた。特に21日の夜は流れ星だらけだったような気がする。みんなで芝生の上に寝そべって、誰もが酒よりも夜空に酔っていた。

テラスの最後のヒナ(“おチビさん”と命名)がついに巣立った。でも、ちょんの字のようにうまくは飛べない。今日は二階の窓を開けたら、いないと思っていた雀たちがパァ〜っと逃げた。おチビさんは何故か逃げ遅れて、窓の外のテントの上で私に背を向け、指先30cmくらいのところで私に気付かずキョトキョトしてた。で、後ろからそっと呼んでみたら更にきょろきょろしながらきちんとお返事。体長はちょうどちょんの字が初めて飛んだ頃と同じくらいだった。この時期にしては小さいのではないかなどと心配しつつ、思わぬ嬉しいハプニング。もしかしてこれはすずめたちからのお礼かも……?と、幸せな想像をして楽しんだ。もちろん、ぐっと堪えて、触ることはしなかった。
“すずめの学校”というサイトで、「長い間会ってなかったすずめがちゃんと覚えてくれていた」っていう話を読んでいたので、実は密かにアテにしていたのだが……。好奇心旺盛だったちょんの字、楽しいこと嬉しいことが多すぎて、あのちいさな頭の中から私のことははみ出してしまったみたい(笑)。大人になれば鳴き方も変わってくるのか、返事どころか、姿形もどれがどれやらさっぱり見当も付かなくなってしまった。当分、おチビさんのお返事で我慢しておこう。でも、これはこれで結構贅沢なことなのかもしれない。


●8月26日(木)暴風雷雨
ちょんの字とお茶漬けの関係

ようやく最後の客が帰って静かになったというのにすごい嵐と雷。今日は一日“絶対無農薬宣言!”という新企画をまとめていたのだが、7月のように雷が落ちると困るので、マックもオフにしてしばし嵐を見物。
外は海と空の境もわからないほど煙りのような雲と雨に覆われて、かすかに見える大崎半島のぼやけた輪郭とあわせてまるで墨絵の世界。そのカンバスをたて続けに銀色の稲妻が切り裂く。雨の音、風の音、そして雷鳴と外は音で溢れているのに、とても静かに感じた。
稲妻からの連想か、ふと掌に温もりを感じて我に返ると、いるはずのないちょんの字を暖めている左手が胸の辺りにあり、突然の喪失感が湧き上がってきた。うちに雷が落ちたあの瞬間、私の掌にもぐり込んだちょんの字の温もりと感触が、今もしっかりと掌に残っている。突然の嵐のように、私も泣くだけ泣いた。でも、以前のような痛みはない。
涙が途切れると急にお腹が空いてきて、お茶漬けを食べた。私の感情は胃袋と直結しているのかもしれない。緊張するとお腹がぎゅるると鳴るし、嬉しい時には胃が休むのである。そして切ない時には・・・お腹が空くのだろうか?赤い眼をしてお茶漬けをすすっているところを主人にみつかり、「若輩者め!」と笑われた。


●8月28日(土)暴風雷雨
私にできることは?

暴風豪雨にはすっかり慣れてしまったが、三日間たて続きの稲妻、雷というのは生まれて初めての経験だ。天上はなにかのお祭りで、雷さんが隊列を組んでパレードでもしているのか……。昼間に少し晴れたりしたものの、昨夜も今晩も夜通し稲妻が夜空を駆け巡っていた。雷鳴は今は遠く去ったが、稲妻だけが無音の花火のように夜空を照らしている。月もないのにこんなに明るい夜というのも珍しい。
風は一向に治まる気配もなく、こんな夜にちょんの字たちはどうやって過ごしているのかと気にかかる。木の枝は揺れて寝るどころではないだろう。こぅ土砂降りばかりでは、餌もろくに捕れないだろうに。おチビさんはまだ完全に巣立ってはなかった様子。私でも長袖を着ようかと思う涼しさ、ちゃんと親や仲間と一緒にいるのだろうか……。
心配しはじめるときりがない。過ぎた日々を辿って、あれやこれやと悔やんでしまう。でも、確かなのは彼らがこの時に荒々しい世界の住人なのだということだ。どうせこの世界に返すなら、やはり早いに越したことはない。仲間が呼んでくれたチャンスを見逃す手はなかったのだと、自分を納得させるしかない。心配するより他に、なにか私にできることはないのかとこの頃よく思う。いつかじっくりと考えてみよう。ちいさなちょんの字が教えてくれた多くのことを、いつかなんらかの形にしたいものだ。


●8月29日(日)晴れ時々曇りのち雷雨
グッチ婆さんついにデビュー!!

月末まで庭仕事はすっぱり忘れることにして、サイトの改装を進めてきたが、たった今、完成!
長いこと後回しにされてきたグッチ婆さんのページも完成!生きているうちに間に合った!さてさて後はアップするだけだが、なにしろ膨大な量。ま、ぼちぼち頑張りますか。


●8月30日(月)曇りのち雷雨
ありがとう!

昨日は深夜までかかってようやく全変更ページをアップ。サイト全体もスッキリしたし、グッチ婆さんも無事にデビュー。掲示板やメールでたくさんの応援のメッセージが届いた。がしかし、殆どのメッセージにはゴエモンの名が多く……。“哲学猫ゴエモン”、死してなお人気をさらっていった。そぅそぅ、そういう猫だったと、久々に懐かしむ。

さてさて、そろそろちょんの字から卒業して、私は庭の人に戻ろうと思う。その前に、ちょんの字を育てる上で役に立った情報などをまとめ始めているが、さまざまなメモ書きを見るにつけ、本当にたくさんの人たちからの応援があったことに驚くばかりだ。ちょんの字は私や主人だけでなく、たくさんの人たちからの力をエネルギーにして旅立ったのだと思う。ちょんの字の日記の締めくくりとしては、この言葉がなによりも相応しいだろう。

みなさん、本当にありがとう!


最後まで読んでくださってありがとう!
9月からのちょんの字の情報は「闘う猫車」をご覧ください

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