RITZの雑記帳


ふてぶてしくも敬称略させていただきます!

再読のススメ /10.Jan.'2003
レイ・ブラッドベリのページへ2002年末頃に私の愛機マックが故障・入院してしまったことから、五年ぶりにローカルな正月を過ごした。呑み飽きては読み、読み疲れては呑むというなんともだらしなく幸せな正月だったが、さすがに四日目ともなると胃も眼も疲れた。外は雪。さて、なにをしよう・・・と目に飛び込んできたのは、棚の隙間で昏睡状態にあるiBook。視線をずらすと、棚の目立たない場所に書庫にアップしていない本の山。休みの後半は「おコタでネットだ!」と書庫の更新作業をして過ごした。
読後感想は読直後に書くべし!・・・読み終えたときには鮮明な印象を残す本でも、何ヶ月もたつうちには結構忘れてしまうもので、結局は一冊一冊とばし読みをしながらの更新作業。面白い本はいつの間にかはまって読んでる有り様で、とんとはかどらなかった。
書庫を作るようになってから、こうして再読する機会が増えたが、再読もまた楽しいものだ。早く読み終えたくてすっ飛ばして読む傾向が強いので、気づかず読み過ごしていたちょっとしたニュアンスや仕掛けを見つけることも多い。読んで考えることや連想するものも二度めになると違ってくる。時期によって、年齢によって、本から得られるものはずいぶんと変わってくるものだ。
十代から二十代にかけては、仮想の経験によって未体験の世界を垣間見ることだけでも満足していた。三十代になった頃からは、次々に現れる素晴らしい物語りに触発され、その世界を共有しつつ咀嚼して取り込むことを知った。こうして蓄積してきたさまざまな感動や希望や思惑は、今では私の一部になっているのだろう。だけど、かつて深く印象を残した本を読み返してみると、物語はじつはもっともっと饒舌なのだ……と気付く。
再読は、かつて読んだ本の中に忘れ物を探すようなもの。かつての自分には何ほどの意味も持たなかったセンテンスが時を経て語りかけてくることもあれば、かつての感動がじつはもっともっと奥深いものだったと気づくことも多い。お気に入りの本を数年ごとに読み返してみるとよくわかる。良い物語はほんとうに饒舌なのだ。
読みたい作家を数え上げると、死ぬまでにどれほどの本を読めるのか・・・と不安になる。だけど、その時間を削ってでも再読する価値のある本はまた山ほどあるのだ。あぁ、ジレンマだ。。。

 

夢をくれた作家たち

amazon.co.jp:マザーグース本を読む愉しみのきっかけを与えてくれた姉ばかりでなく、過去の多くに日々に私を楽しませ、様々な人生をつまみ食いさせてくれた作家たちに、たくさんの感謝を送りたいと思う。
夢の世界で遊ばせてくれたウォルト・ディズニーの絵本。異国の不思議を見せてくれたマザー・グース。楽しい事ばかりではないと教えてくれたサン・テグジュペリ、アンドレ・ジイド、ワーズワース、ウィリアム・ゴールディング。思春期を語り合ったように錯覚させてくれたサリンジャー。勇気と友情を教えてくれたエド・マクベイン。人生を垣間見せてくれたロバート・B・パーカー。身も凍るような怪奇と幻想の世界にゾクゾクさせてくれたH.P.ラヴクラフトや『ウィーアード・テールス』を輝かせた多くのホラー作家たち。はるか時の彼方の不思議へと誘ってくれるエドガー・アラン・ポー
物語の世界への扉を開いてくれた宮沢賢治。言葉の触感を教えてくれた中原中也。中学生のおマセな私にニヒリズムの洗礼を受けさせてくれた石川達三。やさしく美しい動物たちの姿を見せてくれると共に、セックス描写で純真な私を打ちのめした西村寿行。女に生まれた事を悔しがらせてくれた開高健に北方健三。そして、SFの楽しみを教えてくれた広瀬正、星新一。いつも驚かせ、笑わせてくれた筒井康隆。人情ものでもSFでも深い思いやりを見せてくれた大好きな大好きな半村良・・・あぁ、きりがない。
十代から二十代に出会ったこうした作家たちによって、現実の人生とはまた違った空想の経験をも得ることで、私は成長してきたのだと思う。そして今、誰よりもなによりも、深い感動と甘美な夢の世界の中で想像と戯れる歓びを教えてくれたレイ・ブラッドベリの存在を思うだけで、私は幸せものだぁ!……と思ってしまう。

 

一冊の本の想い出
注文の多い料理店幼い頃、病弱だった私はよく学校を休まされていた。家族が出払った家の中でひとり、漫画ばかり読んで過ごしていたように思う。小学校四年生になるちょっと前、その頃もなにかの病気で家に閉じ込められ、ぐずぐず泣いたり癇癪を起こしたりしていた記憶がある。そんな私に、当時大学に通い始めたばかりの姉が奮発して買ってきてくれた誕生日のプレゼントが『宮沢賢治全集』だった。
賢治の童話集は早くも活字嫌いだった私を初めて夢中にさせた。『セロ弾きのゴーシュ』の不思議が何度も何度もページをめくらせ、『よだかの星』が悲しくて涙を流した。そして『注文の多い料理店』のハラハラドキドキするストーリーこそが、怪奇と幻想の世界に惹き付けられた私の、まさに第一歩だったのではないかと思っている。以来、たくさんの作家や物語との出会いが私の人生により愉しく豊かな彩りを与えてくれた。読書の愉しみなくしては、人生は今の半分も面白くはなかっただろう。
当時、十も歳の離れた姉妹には共通の興味もなく、共通の時もなく、ひとつ屋根の下に暮らす同居人でしかなかった。だが、姉がプレゼントしてくれた一冊の本は、初めて二人の共通の話題となった。やがて、すでにボロボロになってはいたもののテープで補強された『宮沢賢治全集』は、私から姉の三人の子供たちの手に次々と渡っていった。姉は子育ての側で宮沢賢治の研究をするようになり、子供たちも私もその研究成果を聞いては楽しんだ。あれから数十年を経て、いまでは親友のような姉と私の間には、あの一冊の本の見えない存在が確かに在るのだと思うことがある。大学生だった姉がはたいたお小遣いの重みに、私は今もこっそりと微笑んでしまう。
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