動機
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動機 |
午前十時を過ぎて風がでた。
海岸を見下ろす県立病院のロビーに、師走の慌ただしさはなかった。薬の順番を待つ患者の姿も、見舞客の姿も、風を巻いて走る看護婦の姿もない。いつ来てもそうだ。窓に鉄格子の嵌まるこの病院には、外と混じり合うことのない空気と時間が停滞している。 |
携帯を懐におさめると、○○は国道に車を戻し、アクセルを踏み込んだ。
一一やっ。
心の中で小さく言った時、冬のものとも思えぬ穏やかな海がぱぁっと目の前に広がった。 |
逆転の夏 |
連日のぐずついた空から一転、不意打ちのような真夏日となった。昼のニュースは慌ただしく関東地方の梅雨明けを告げ、『ノザキ典礼搬送』の事務所でも、午後には今年初めてのエアコンのスイッチが入った。
『得意先』の一つである得養老人ホームから搬送依頼の電話が入ったのは、ようやく陽が傾き始めた頃だった。 |
生きていくしかなかった。どれほど無様な生きざまであろうと、すっかり投げだしてしまえる人生などないに違いなかった。
○○は金網を伝いながらゆっくり昇降口を目指した。
濡れた頬を風が知らせた。
それは、長かった夏の終わりを告げる風にも感じた。 |
ネタ元 |
少し熱がある。水島真知子は起き抜けからそう感じていたが、計って確かめるでもなく、ましてや医者も薬も頭になかった。警察幹部の官舎を朝駆けして回り、県警本部ビルの記者室で交通事故の統計原稿を書きなぐり、昼食もそこそこに県南部の鷹見市へと車を走らせた。 |
電話が鳴り出した。午前十時。デスクからの『定期便』一一
真知子が動き出せば、虫たちも動き出す。わかってはいたが、真知子はミカンの消しゴムをゴミ箱に放ると、その手を受話器に戻した。 |
密室の人 |
テッセンの一枝が風韻を高めていた。
美和は鏡柄杓に構えた。淡い緑に小花を散らした京小紋が、楚々とした座り姿にほどよい緊張を与えている。
コトッ。柄杓を引く音が壁に消え、微かな息づかいが耳に届いてくる。美和は裾を直し、一つ間をとって萩茶碗となつめを膝前に寄せた。帯から袱紗を取り…… |
ラストは読んでのお楽しみ! |