三浦明博の立ち読み


滅びのモノクローム 本棚に戻る
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警戒警報が、けたたましいわめき声をあげた。
早朝から道端に響いていた、蝉の鳴き声がかき消された。口もとに運びかけていた湯呑み茶碗を凍りついたように止め、倉場富三郎はサイドボードの上の置時計へと、血走った目を走らせた。
いつまでたってもこの音には慣れるということがない。それが神経を過敏にし、精神を極度に疲弊させている。ここ数カ月、熟睡できぬ夜がつづいていた。長崎は今朝も快晴無風の天候で、夏の陽射しが家々の屋根を照らしている。
しばらくすると、今度は空襲警報が発令された。富三郎は反射的に立ち上がり、防空頭巾と非常袋を身に付けた。
大きな音にからきし弱い犬のムスを抱きかかえm庭の隅に掘られた防空壕へと急ぐ。防空壕の入り口で立ちすくみ、ふとわが身を思った。齢七十を過ぎて、まさか己がこのような立場になるとは、予想だにできなかった。

ブルーハーツの唄を、大西が小声で口ずさんでいる。
いつの時代も、追い詰められた弱い者たちの矛先は、さらに弱い者に向けられる。負の連鎖。自分だけは絶対にどちらにもならないと、いったい誰が言い切れるだろう。
忘れずにいようと思った。彼らと同じような思いを抱えながら、戦争の傷痕を胸の奥にしまいい込みながら、sれでも懸命に生きる人たちがいる。それを憶えていよう。とりあえず自分にできることは、それぐらいしかない。
ふと歌うのをやめ、空を見あげる。
「夕立ちでも来るかしら」
その声はかすれていた。
微かに頷いたが、見えなかったかもしれない。そのときふいに湿気を孕んだ風が吹きつけ、日下の頬をなぶって過ぎた。