桐生祐狩の立ち読み


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魚尻駅は、地図で見た通りたんぼのど真ん中にあり、青い稲穂をゆらしている風がホームを吹きすぎていった。僕と河合は、がらんとした駅の階段を、なれた手順で徳田の車椅子を押し上げた。が、誰も注目していないと思っていたのに、待ちかまえるようにしてそこにいた若い駅員さんにみつかった。
「あ、車椅子の人がいるね。乗せるのたいへんでしょう、人を呼んであげよう」
「あ、いいです、いいです」
僕たちは、その親切そうな駅員さんに向かってあわてて手を振った。
「僕たち二人で運べます。いつもやってますから」
「伊やぁ、そのための駅員さんだしね、それにすごく重いよ」
そんなことは知ってるんだって、バカ。

棒は奈美江と父親の誕生日の相性を調べておいた。ビンゴ!ふたりの間に子供が、それも今から二百九十日のちに生まれる子供ができれば、その子を使って作った『薬』は僕に失われた足を取り戻させてくれるとわかったのだ。必ず受胎させろと父親には言ってある。生むのを嫌がるだろうから、なんだったら奈美江を監禁してもいい。僕はかなり広い部屋を与えられていて、奥には納戸がある。徳田は最近では障害があった頃のことなど忘れてしまったらしく、不必要なまでに僕に優しくしたりする。そのやさしさが不愉快だ。僕はここから脱出してみせる。徳田は、そんな気力とっくに僕にないと思っているようだ。
お前は正しかった、徳田。僕たちはまったくわかり合っていなかったんだね。